[BlueSky: 940] Re :


[From] "gengorou" [Date] Sat, 25 Sep 1999 16:59:24 +0900

かとうさん、はじめまして。。皆様、お久しぶりです。

                            ゲンゴロウです。

返事が、やたらと、遅くなってしまいました。
私、プロバイダーを取り替えたのですが、私のミスで
一週間、インターネットにアクセスできずにいました。
昨日、やっとアクセスできたのですが、こんどはメールソフトの仕組みが
分からずに、汗をかいてまいした。
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かとうひろさん:
>ここでは、ゲンゴロウさんも触れていた自然の「保護」という言い
>回しの含む問題について、僕なりの意見を書いてみます。
>まず考えてみたいんですけど、僕たちは、日本が好きでしょうか。
>自分の町、でもいい。好きでしょうか。
>それから、日本の人々を好きでしょうか? 親戚や友人たちの中に、
>心から大切に感じる人がたくさんいるでしょうか? 
>子供たちを心から愛しいと思っているでしょうか?

かとうさんの問いは、とても率直で、「確かにそう言われると」と
考えてしまいました。
でも・・・あえて、、
私、独自の考え方でこのことについて、考えてみます。また妙なことを
言い始めると思います。(意味不明なら、聞き流してください)

私は、人間というものの存在は他者との比較を通して生まれる相互存在
で存在感を持っていると考えていてます。
その考え方からすると、究極的な自己に対する愛といえども、他者の
存在から生まれていると思います。相互存在とは、比較する他者の存在が
大きいほどもう一つの存在が際だつと言うことなのですが、たとえば、
日本を愛するとき、必然的に他国に対して強い意識が発生してくるように
思います。
ということから、現代は情報が発達して、私たちの意識からはもう、
国という枠組みが薄くなって来ており、そのせいで、日本の人々という
枠組みによって作られる意識もうすくなって来ているように思います。
つまり、私たちは同じ国の人間をないがしろにしているのではなく、
必然的にそうなっているだけだと思います。
社会的な「必然」を「必然」でなくするのは、ちょっと難しいような気が
してしまいます。

それと、もう一つ、
全体の部分を一つ一つ見つめて、全部に興味がなくても、その全体は漠然と
好きであるというケースもあるのではないかと思ってもみたりします。
たとえば、人参、タマネギ、豚肉、いも、ブイヨン、コショウは、さほど好きと
感じていなくても、私はその全体が作り出す料理(シチュウーなど)は、
たまらなく好きです。私は近所の子ども、人をあまり、好きとは感じませんが、
なんとなく、漠然と日本がすきです。。

屁理屈を言って見ましたが、私がなんと言おうと、かとうさんがおっしゃることは、
現実的に一理あるのは確かだとは思います。


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>海外崇拝主義。「海外の自然はきれいだ」とか、「海外の人々は暖か
>い」だとか。日本を見ていない人が多すぎる。日本を知らないし、
>日本を知ろうともしていない。この文化的背景こそ、問題の核になって
>いるのではないでしょうか。

日本に、このような文化的背景があるのは、
もしかすると日本が本当に貧しい国だからかもしれません。
何も資源がありません。かつて他国の人が押し寄せてきたのは、
日本では金がザクザク採れるという思いこみがあった時だけかも
しれません。日本人が、日本を見ないのは世界に目を向けないと
餓死してしまうからかも・・・・と、思ってみたり。。。

>もし、愛しいと思う人々がいるのなら、自然環境や生活環境を保護する
>必要がある、という意識は自然と発生するはずです。
>言い換えると、愛しい人々を保護しようと思うなら、人類を淘汰する
>可能性のある、環境破壊という「危険要素」を取り除こうとする意識が、
>きっと生まれるはずだ、ということです。

私、最近思うのですが、人間って、とんでもなくバカなのではないかと
思います。因果関係をぜんぜん考えられないのではないかと。。。
「こうすると、こうなる。」が、考えられないのではないでしょうか。
子どもを保育園、学童保育、塾に預け、年寄りは老人ホーム、、、
家族愛を壊す施設を国が推進しているような感じですし、、、
たいして貯められもしないダムを造って水不足になったり、
なんか、変なことばかりのような気がします。
つまり、自然破壊が未来の人間を苦しめるなどと、今の多くの人は、
考えられないのではないかと思ってしまいます。
蛇口をひねると水が出ることは知っていても、その蛇口にホースを
付けると、水がどこに出るのか分からないのではないかと思ってしまいます。

>まず、こういう意味での「愛国心」について考えてみるところから、
>スタートしてみるのも一案ではないでしょうか? 

かとうさんの考え方、とても良い響きがあります。
でも、私、ひねくれているので、別な興味があります。
もう少し突っ込んで聞かせて下さい。
(反論とかでは、ないんです。。とても難しい問題なので、
 簡単には答えられないと、思っています。その上で、です。)

○私は、「愛国心」が、どうも苦手です。
 かとうさんは、かつての「愛国心」とは、違った意味でこの言葉を
 使っているとおもいますが、、かとうさん以外の人が、別な意味でこの
 「愛国心」を用いる心配をしてしまいます。愛国心という御旗を掲げ、
 大儀として、有無も言わせず国民の意見を押しつぶす手段に
 使われそう・・・
 そのあたりは、どう考えていますでしょうか。。

○人間にとって自分以外の存在には、個人があり、組織があります。
 組織には家族、会社、学校、サークル、地方自治体、そして国があり、
 家族愛、愛社精神、愛国などそれぞれあります。
 しかし、そのように組織を大きく広げて考えたとき、まだ、アジアとか、
 世界という概念もあるのですが、、、なぜ、国という段階で「愛」を
 とめたのでしょうか。。。その辺のことを、ちょっと、知りたいです。
 
 # 私自身、質問をされるのが嫌いなので、無理に答えなくてもいいです。

>結局、僕たちが「保護」しようとしているのは、自分たち自身と、
>守りたい「人々」なのですから。
>(自分たちを守るための環境保護、なんて「利己的な動機」かもしれないけど、
>はっきり言ってそういうのは生物の自己防衛の「本能」ですから、善悪を問う必
>要はない気がします。人類も残る、自然も残る、でいいですよね。)

人間って、本当に複雑な生き物で、自己防衛の本能もあれば、まったく
その逆もあるような気もします。その時、そのとき、で、違っているようです。
特に女性なんか、「こんな男やめればいのに」ということしきりです。
女性に自己防衛の本能、あるのでしょうか。。
それと、男もそうです。生き甲斐や目的のためなら死に急ぐ人もいるし、、、
なんか、よく分からないです。

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愚痴っぽいGENGOROUでした。。






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