[BlueSky:06733] 絹とカイコ RE: [06729] 天然素材


[From] "SUKA Takeshi" [Date] Fri, 11 Apr 2008 23:14:12 +0900

稲垣さん 青空メーリングリストのみなさん

ご無沙汰しております。ひと月ほど前に、稲垣さんのメールを拝見して、
興味をおぼえ、いろいろ(のろのろ)と考えていました。おそいご返事に
なってしまって恐縮です。

稲垣さん:
> 皆様にお聞きしたいのですが、天然素材の衣類って奴は、環境面でどの
> ような評価を受けているのでしょうか?

> 以前行きつけの呉服屋さんで小耳に挟んだのですが、某環境保護団体
>(を自称する環境保護過激派)が「希少動物の体毛を刈り取ったり、まだ
> 蛹が中にいる繭を茹でたりして作る」素材ついて難癖つけてるとか。
>  まぁ、そんな高級素材ばかり着る理由ではないのですが、おばあさん
> たちが熱いお湯の中に手を入れて作る絹糸や、冬の寒い中手作業で織る
> 反物にくらい片目瞑って見逃してほしいもんです。

天然素材の衣類の評価というようなことについてお話できる力が、わたしに
あるわけではもちろんもちろんありませんが、「環境」にまつわる「昆虫」の
話題について考えるはめになる機会が仕事柄たまたま多いせいか、“蛹が中に
いる繭を茹でたりして作る素材”に抵抗を感じられる方々がいらっしゃると
きいて驚き、興味をもちました。わたし自身は、稲垣さんのご意見に賛成
です。と同時に、考えさせられました。それで、ちょっと調べてみました。

松香光夫・栗林茂治・梅谷献二著『アジアの昆虫資源―資源化と生産物の
利用―』(農林統計協会刊行 1998)という本によると、カイコはミツバチと
ならんで最も人間との関わりの歴史の深い昆虫のひとつで、7000年前
(紀元前50世紀頃)の中国の遺跡からカイコらしい昆虫による織物があった
ことを示す遺物がみつかっているそうです。現在、絹織物を織るために
世界で普通に飼われているカイコはBombyx moriという種で、紀元前16〜12
世紀頃に中国で野生種から馴化されたとされており、今では完全に家畜化
されて、翅があるのに飛べないなど野外では生きていけない性質をもつまで
に至っています。

一方、このBombyx moriのほかに、インド・東南アジア・中国から日本に
かけての地域やアフリカの一部の地域には、さまざまな野生の蛾(野蚕)
を利用して絹をつくる文化があります。アッサムあたりを多様性の中心と
するその分布から、これをアジア東部の文化圏のひとつである照葉樹林
文化の要素とする説もあります(『中尾佐助著作集 第VI巻 照葉樹林文化
論』北海道大学出版会 2006)。以前ラオスを旅行したときに、Bombyx mori
とはちがう金色の繭から絹をとって織物をつくる小さな工房を、北部の町
の近郊の村や首都ビエンチャンの街角でわたしもみました。くわしくは知り
ませんが、少なくとも野蚕の場合、繭から絹糸をとる工程も一様ではなく
て、“蛹が中にいる繭を茹でたり”するのとはちがうやり方をする場合もある
ようです。

これは想像ですが、人の保護がないと生きていけないBombyx moriの利用
の仕方などに、家畜を人道的にあつかおうという考え方にとって気になる
部分があるのかなと思いました。これは環境保全というより動物愛護に近い
考え方なのではないかと思います。一方、欧米流の動物愛護だけにはかぎらず、
仏教などの宗教的な考え方のなかにもこれに通じていくような発想があるの
ではないでしょうか。

現在の環境保全の主流の考え方では、昆虫について遺伝子や種、生息地の
レベルで存続をはかろうという考え方がありますが、ほ乳類の場合のよう
に個体の命を人道的にあつかうことを重くとらえる考え方はあまり一般的
でないと思います(一般的でないから耳を傾けなくてもよい、ということ
では必ずしもありませんが)。そしてこれは科学者だけのとらえ方ではない
と思います。

野中健一『民族昆虫学―昆虫食の自然誌―』(東京大学出版会 2005)には、
「野生動物のひとつとして昆虫に注目し、その関わり合いをとらえること
には現代的意義も認められる。それは、野生動物の利用が減少し、さらには
法律的に禁止されつつあるなかで、昆虫はいまだ人間の利用対象となりえて
いるという点である。たとえば、タイでは、首都バンコクにおいては、野生
動物を売り物にする市場には数多くの動物種類が出回っていた。しかし近年、
捕獲規制や減少によって野生動物が少なくなったため、昆虫が相対的に
増加しているといわれている。このようなところでは、昆虫は「野生」の
象徴となりえているのである。……(中略)……昆虫との関わり合いは、
自然と関わり合う第1段階に位置づけられるともいえる。そして、昆虫と
人間との関わり合いの多彩さや民族、地域による対応の違いは、人間と
生物との関係を多様な側面から見ることを可能とするであろう」と書かれて
います。同感です。ちなみに、この本は人間による食べものとしての昆虫の
利用を主なテーマとしてとりあげていて、カイコも各地で食用としても利用
されていることが紹介されています。かつて養蚕がさかんだった信州でも
食べられていた歴史があり、わたしも人にすすめられて食べたことがあります。

環境保全のとりくみでは、世界のさまざまな地域の伝統文化やその担い手
たるひとびとにとっての生活環境の保全を大切にしなくてはならないと思い
ます。そう考えると、伝統的な野蚕の利用などは、これを大切に守り育てて
いくことが必要なのではないかと感じます。

一方、一匹一匹の昆虫の命をどう考えるかというテーマも、いろいろ考える
と簡単にすぱっとわりきれない部分があると思います。たとえば、インド
ネシアのバリ島で外国から来たある人が、ここはヒンドゥー教の聖なる山
だから虫を殺さないでほしい、とさとされた(その外国人はそういうしきたり
をたまたま知らなかったのかも知れません)という話をきいたことがあります。
日本でも、家畜化されたカイコBombyx moriが「おかいこさま」とよばれて
信仰の対象となるなどの歴史があったそうです。

さらにまた一方で、世界のさまざまな地域のひとびとの生活や環境を守り、
不平等な世界経済のあり方を是正していこうという運動としてフェア・
トレードという動きがありますが、インターネットでそういったサイトを
みてみると、オーガニック・コットンなどにまじって、シルクの製品も
とりあつかわれているのがみられます。

いろんなことが繭の糸みたいにからまりあってわたしにはほぐしきれません
が、奥の深い話題だなあ、と思った次第です。

山口県立大学の安渓遊地さんは、“「みんなちがってみんな変」という、
文化人類学の一番大事な基本”(“変”のところに傍点)について書いて
おられます。そのことがなぜだか今、あたまをかすめました。

岡谷蚕糸博物館で、古代中国の絹織物30点あまりを公開する特別展が、
もうすぐはじまるそうです。会期は、4月26日(土)〜6月1日(日)
だそうです。
http://www.okaya-museum.jp/

森本喜久雄『カンボジア絹絣の世界―アンコールの森によみがえる村―』
(NHKブックス 2008)という本が出ているそうです。そのうち、読んで
みたいと思います。

   須賀 丈



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