[BlueSky: 670] Re:661 目から鱗的発見!


[From] "Kaz. Yokoyama" [Date] Mon, 30 Aug 1999 20:41:45 +0900

広木@ICUさん,MLの皆さん

和尚です。
教えていただきたいことが有ります。

>「自然環境」というのは、人間にとって単なる「資源」でしかありません(どのよう
>な「資源」であるか、それは人それぞれまちまちでしょうが)。
(中略)
>いわば環境は、総ての人間が共有する「財産」なのです。

単純明快な考えですね。
国際基督教大学ではその様な教育がされていると言うことでしょうか?

「人をして地を這う全てを治ましむる」と言う教えからはしっくりしますが・・・
残念ながら,20年間も考え続けても私には到底達し得ない境地です。

私には,自然環境には人間にとっての資源以上の価値があると考えざるを言えない
のです。人間でありながら,人間を中心とすることに何とも言えない後ろめたさがある。
これは何故なんでしょうか?

>これが、「共有地の悲劇」と言われるものです。この状況下で「自制」をする人は、
>自制しない人にただただ貢ぐことになり、「適応的でない」と言う烙印を押されるこ
>とになります。ですから、長い時間をかけると、「自制」と言う戦略は生き残ること
>は出来ません。

そうだったのですか!では,「自制しない人」の方が適応的だということでしょうか?
私の理解では,共有地に関わる人々の自制の無さが悲劇を引き起こす元凶である
というものでした。
ですから,長い目で見れば悲劇の回避にはそのためのルールと,賢明な自制行為が
もっとも合理的であり,人々にもっと賢明であることを教えているのかと勝手に勘違いし
ていました。

ところで,この話とヒューマニズムと何か関係有るのですか?

以上,単純思考での質問の数々で恐縮ですが宜しくお願い申し上げます。

Kazunari Yokoyama, Ph.D.
Soil Microbial Ecology Lab.
National Institute of Agro-Environmental Sciences, Japan
Phone:+81-298-38-8300
Fax:+81-298-38-8199


▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。