荻野です。
小宮さん(06432)
>このケースはあまりにもひどいのではないでしょうか。TVの画像では、
>この女性はまばたきもしていましたし、表情もあり、微笑んでいるように
>さえ見えました。
「あまりにもひどい」というのは、何がどうひどいのでしょうか。
これだと、「見た目が普通っぽいのに、尊厳死を認めるのはひどい」
という意見のようです。すると、見た目がとても生きているようには
見えない場合は、特に抵抗はないということでしょうか。
もちろん尊厳死というのは、見た目や、意識のあるなしは、関係ない
問題のはずです。
重要なのは、「本人の意思」ということになるのでしょうが、
シャイボさんの件の場合は、植物状態で意識がないはずが、
どうもありそうに見えてしまい、だったら本人の意思があるのではないか、
という点が混乱の元なのでしょう。それに、「本人の現時点の意志」を
確認できない場合、何をもって「本人の過去の意思」を確認するのか
それがどこまで有効なのかということなのでしょう。
もっともこの「本人の意思」、今回のように脳に損傷があるという場合、
「現時点での本人の意思が、ありようがない」と考えるのであれば、
「意志がない」つまり「生きる意志がない」ということを尊重しなくていいのかと、
ちょっと思ったりしました。
ここで、「いや意志つまり意識というのは、脳つまり肉体に依存するわけではなく、
意志がないと考えるのは間違っている」とするなら、つまり肉体とは別に魂という話で、
それなら、なおさら肉体に他人が執着するいわれはないということに・・・??
>そうでないと、本当にコストがかかるからという理由のみで、尊厳死
>という名目で重病患者・障害者の命が奪われかねません。
この「コスト」というのは、結局資源、エネルギーであり、他者の命だったり
するので、環境問題としては、どう考えたものでしょう。
(06432)
>人を助けるための医学の進歩によって、シャイボさんの植物状態が
>診断され、栄養補給装置を外すことに決まったというのはなにやら
>皮肉のような気もします。
もちろん医学の進歩がなければ、とっくの昔に自然になくなられて、
問題化することも、これまでのコストがかかることもなかったのでしょう。
ところで、栄養補給装置を外すというのは、絶食療法になって回復する
なんてことはないのだろうかと、ちょっと期待しているのですが・・・・
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