[BlueSky:05941] Re: 虫虫・・・人と神とウンコ


[From] "Y.kuzunuki" [Date] Mon, 21 Jun 2004 11:47:27 +0900

こんにちは、葛貫です。

genngorouさん wrote:
> いつもレスをありがとうございます。

昨年、保留した問題への返信で、今更乍らという感じなのですが(^^;。

> >  God
> >  grant me the serenity
> >  to accept the things I cannot change,
> >  the courage to change the things I can,
> >  and the wisdom to distinguish the one from the other.
> >
> >       - Niebuhr, Reinhold

> その方は、
> 「物事を知る者は、おごらず、自らに甘んじない者である」と、
> 言っているように感じます。
> 私なりの感じ方ですが、「おごらず、甘んじない」というそれは、
> 「祈る」時の、、身のありかたと同じようです。

> > 神が、実際に、いようが、いまいが、祈らずにはいられない、
> > 祈っても、問いかけても、これが、永遠、不変、絶対的な正解だよ、
> > という保証付きの答えは返ってこないし、何の保障も得られやしな
> > いだろうな、とわかっていても、否、わかっているからこそ、祈ら
> > ずにはいられない時もあるだろうなと思います。

この祈りの句に出会ってから、どういう背景を持った人が発した言
葉なのか、ずーっと気になっていたので、調べてみました。

ラインホールド・ニーバーという方は、外交政策評論家でもあり、
ケネディ大統領等、米国の政治家に影響を与えてきた方だそうです。

ニーバーは『人間の理性はきわめて限定的な技能で、これを持つ人
間はごく少数で、大半の人間は感情と衝動に突き動かされて行動し
ている“とまどえる群れ”である。だから、理性を持つ少数の人間
は、「必要な幻想」をつくり“とまどえる人々”の感情に訴える
「過度の単純化」を提供して純真な“とまどえる群れ”を逸脱させ
ないようコントロールしなければならない』という考えを持ってい
たようです。


この祈りを一見して、私は、『一般の人々が自分たちの問題を自分
たちで考え、その決定にそれなりの影響を及ぼせる手段をもってい
て、必要な情報へのアクセスが開かれた環境にある社会』の構成員
であろうとする人物を想い描いていました。

でも、これを読むと、ご本人は、『一般の人々を彼ら自身の問題に
決してかかわらせてはならず、情報へのアクセスは一部の人間のあ
いだだけで厳重に管理しておくべき社会』を理想とし、歴史的なで
きごととして振り返られるような分岐点で、情報へのアクセス制御、
情報の単純化を行い、必要な幻想を作り出そうとする組織に身を置
く人が発した祈りの言葉だったのかもしれませんね。


 #『 』内の文は、
 「メディア・コントロール/正義なき民主主義と国際社会」 
 (ノーマン・チョムスキー著)からの引用です。
  書評に目を通しただけで、私は、まだこの本を読んでいません。
  誤りがあったら、御指摘下さい。


個人的な問題でも、社会的な問題でも、分岐点に行き当たり、立ち
止まり考えるだけではなく、実際、次の一歩を踏み出すことを迫ら
れた時に、こう祈りたくなる気持ちの真摯さには、大きな違いはな
いのかもしれませんが。


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