[BlueSky: 5790] Re:5778 食と農シンポジウム


[From] "driad" [Date] Sun, 15 Feb 2004 23:49:20 +0900


----- Original Message -----
[BlueSky: 5778] Re:5766 食と農シンポジウム

> >自分の基準から外れたものを症候群つまり『病気だ』とラベル付ける
> >非常に差別的な発想によって
> >まともなリスクコミュニケーションが阻害されているという次第なんですね
> それは,池田さんにとっても本意ではないでしょう。
> http://square.umin.ac.jp/massie-tmd/bsefacts.html#zeroriskplay
> に,そう書かれています。

そう書いてあってもそれはただのいいわけでしょ
本意でなかったなら「症候群」とは名づけなかったでしょうし
その人がしていることは
「頭の中が空っぽの連中に喧嘩を売ることに楽しみを見つけた」
だけなんでしょ
どこを読んでもその調子だからやはりどう考えてもこっちが本意で
要するにまともなコミュニケーションをする気がないというその性分が
「症候群」という差別的な名を付けさせたんでしょ

まあそんな人の粗探しはほどほどにしといて

コミュニケーションにおいて相手が「何も考えていない」と考えて
人の話を深く聞こうとか考えの根本を知ろうとかせずに
言いたいことだけ放言することほど情けないことはないのでして
どこが食い違いの元かを考え切り込んでこそコミュニケーションでして
その意味で

----- Original Message -----
[BlueSky: 5777] 海綿状脳症
>  この件において米国と日本の議論が噛み合わないのは、牛肉を
> 食べる人間の総額を有限と取り扱うか無限と取り扱うかの差による
> ものでしょう。端的に言って、上記の不等式のような議論に嫌悪感
> をもつ人は全頭検査を必要だと見なすでしょうし、日本人の多数派
> でしょう。人間の総額の算出に保険会社が用いている基準を使えば、
> 全頭検査の実施は非現実的という結論が導かれるかも知れません。

というような分析はアプローチとして正しいと思われますし
例えば次のような分析なんかかなり良い線行ってる感じがしませんか

http://vetweb.agri.kagoshima-u.ac.jp/vetpub/Dr_Okamoto/DrYosikawa/DrYoshi2003/Index.htm
| ところがどうも消費者の安心感というのは、我々の式を使わないで、
| 後の式を使っているということが議論していてわかりました。安心
| できる積算の安心感というものをとっていくと、第1段階でこれだ
| けが危険だとすると、安心できるのは1から危険率のPを引いた1
| −Pだけだということになります。それでも残りの危険があるんだか
| ら、その次の段階でもう一回安心感を得るには、やはり1から危険
| 率を引いた1−Pでこれも安心でなきゃいけない。次にこれも安心で
| という、こういう格好になるわけです。それでは完全に安心できる
| ということは、全過程でどういうふうになるかというと、それはす
| べての過程で危険の起こらない確率の積算になります。したがって、
| 我々は工程をふやして安全性を保証しようとするのですけれども、
| 工程がふえるほど不安が多くなる。そうすると何をするかというと、
| 例えばいろいろな検査をして安全性を保証してくれるより、産地直
| 送のワンステップでいたほうがよっぽど安心できるということにな
| ります。言われてみると、消費動向を見れば多分そういうふうに動
| いています。
|
|  また、あとの式を使うと、例えばどこかの段階で1の危険性とい
| うものが入ったときにどうなるか。例えばこの安心感のほうでは1
| −PというもののPが1ですから、安心感はゼロになるのです。前
| にどれだけの安心があったとしても、突然100%の不安感になる。だ
| からどのステップであれそこの安全性は保証できませんと言った瞬
| 間から、それは全く危険というふうにとられる。この議論はBSEをめ
| ぐって何度もありました。
|
|  ところが我々はどう考えるかというと、ここの段階でP=1の危険
| 性がある仮定します。この段階で危険率が1であっても、例えば各
| 段階の積算危険率は0.5、0.25、0.125。ここに1があっても、これ
| は0.125のまま変化しませんから、次もまた2分の1の危険率に移せ
| ば、総合危険率は0.06というような格好になって、どこかに1の危
| 険という段階が入ったとしても、総合危険率は例えば0.1%がたかだ
| か0.2%になるだけで、相変わらず安全ですというふうに安全性を説
| 明します。だけど消費者は100%の不安感を持つという乖離が起
| こります

----- Original Message -----
[BlueSky: 5782] Re:5780 食と農シンポジウム

> シンポで印象に残ったのは、中澤さんのお話で、問題にしているリスクは「病気や死
> 亡」だけではなく、「安心が失われること」もまたリスクなのだということでした。
> 「BSEについての日米の議論の食い違いの原因の一つはここにあると思う。」という
> 説明で腑に落ちました。

食い違いという言葉をよくみたらわかりそうなものですが
食い違いの原因は何よりもまず食いものの違いです
日常的に牛を食うカウボーイの国の人と
すき焼きやビフテキがたまの贅沢や文明開化を象徴する国の人とが
同じ感覚でものを言うはずがありません

>
> その「安心」を確保するために生産者、流通・販売者などになにができるか、という
> 点について他の講演者の話が続きました。情報開示というのがその中心にあるようで
> したが、やはり最後に残る印象としては、どんなにいろいろやっても完全な安心は難
> しいだろうなぁということでした。

安心は易しいとか難しいとかの事柄ではなく
いわば全く安心してていいのは赤ん坊だけです

>
> 安心を与えるのは、結局のところ科学的データや情報よりも、人を信頼できるかどう
> かに行き着くような気がしました。人を信頼するには、やはり直接会って顔を見て言
> 葉を交わして直感する必要があるわけで、それができないときの次善の策としてイン
> ターネットなどに公開された生情報を得て判断する。それが、主催者「生活者のため
> の食の安心協議会」の目指すものなのでしょうね。

人を信頼というか全て面倒見て欲しいというか
ようするに自分が赤ん坊でいていいような
親分がいて欲しいというのが日本的安心の感覚です

>
> もうひとつおもしろいと思ったのは、パネリストの一人で京都市の消費生活アドバイ
> ザーの米林さんが言われたことで、いろいろな苦情が持ち込まれる消費生活センター
> だが、食の安全に関する問い合わせというのは、じつはほとんどない、ということで
> した。BSEや鳥インフルエンザに関してもごく少数だと言うことでした。

それが消費生活センターに持っていく話なのかどうかが問題なだけでは

>
> これは、私が大学で講義をしていて学生のレポートなどから受ける印象とつながる気
> がしました。つまり、問われれば食べ物のことが不安だ不安だと言うけれど、じつは
> 多くの人がそれほど気にはしていないし、不安を取り除くためになにか努力しようと
> いう気もない。流行に乗って健康ものや有機ものに手を出すこともあるけれど、じつ
> はどうでもいいと思っているのではないか、ということです。

私は交通事故に会う不安はありますが
消費生活センターにわざわざ車の安全について聞いたりしませんし
不安を取り除くためにそのことを考えない努力くらいしかしませんし…

> それはもちろん消費者各自の勝手であり、自分から本気で安心を求めない人にまでわ
> ざわざ届けてやる必要もないのでしょう。しかし、現場で努力する人たちにとっては
> がっかりする結末が待っている気がしてなりません。手間をかけて情報を記録・公開
> しても、いいことは何もなかったということになりはしないか。

「なにか努力」とか「ほんとはどうでもいいんじゃない」とか
「本気で求めない人にまでわざわざ届けてやる必要もない」とか
どうして一般市民側に何かを求めようとするんでしょうか
俺がまとめて面倒見てやろうとかの気持ちはないんでしょうか

もちろん面倒見のいい親分役に
いいことなんて何もありませんよ…

----- Original Message -----
[BlueSky: 5788] Re:5782 食と農シンポジウム

> 「安心が失われる」リスクに対して、いくらお金をかけるかでしょうね。
> 日本人の新型ヤコブ病の推計患者数が0.005〜0.007人(2002年1月資料)
> であるにも関わらず、その対策(全頭検査)に4,000億円もかけている

あのー…40億円だと思うんですが
二桁もサバを読むのはさすがに
科学者の立場からのご発言にしては
デマもほどほどにという感じではないでしょうか

というより億を越えると妥当な桁数感覚も働かなくなるという点では
科学者を名乗られる人はもう少し世間を知られたほうがよくないでしょうか

> のは、果たして最も有効な使い道なのか冷静に考える必要があると思い
> ます。背景を十分に伝えないでネカティブ情報を強調するマスメディア
> の責任も極めて重大です。

あのー
異常プリオンの発見者のノーベル賞級の科学者ですら
全頭検査を勧めていらっしゃるらしいのに
二の足を踏む国ばかりの中でいち早く手を打った日本国は
なかなかのもんではないんでしょうか
http://www.yomiuri.co.jp/features/kgbs/200402/kg20040213_01.htm
40億ぽっちで宗主国に喧嘩を売れるんだから安いもんです…

> コミュニケーションの最初は一つ一つ誤解を解いて行く地道な作業です
> が、「信頼の閾値」とでも言うか、「この人のやっていることは信用で
> きる!」という(理屈ではなくて)感覚的な納得が得られる瞬間がある
> と私は信じます。

二桁サバ読んだらやっぱり信憑性の閾値を越えてると思いますが

> 最近読んだ本(「食農同源」足立恭一郎著、コモンズ、2003)に「買い
> 物は(生産者に対する)投票行動」という表現がありました。つまり、
> 良いことをしている生産者を生かすも殺すも消費者次第ということです。
> 情報開示が進むと、今度は消費者側の選択責任が問われるようになるで
> しょうね。

なりませんよ
情報開示が進んで何がよくて何が悪いかよくわかってくると
ふつうは「そこまでわかってるなら変なもの売るなよ」
って文句が付くだけです


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