[BlueSky: 5738] Re:5706 緊急提案「学


[From] "genngorou" [Date] Thu, 29 Jan 2004 02:57:25 +0900


ゲンゴロウです。
読むついでに考えたことを書いたので、あまり脈絡のない
ものになっています。。。読み捨ててください。。

葛貫さん:
> > でも、まだ、専門的な知識は、一般人が容易に入手できない本や、
> > 容易に理解できない専門用語で書かれていて、それをクリアするた
> > めには、「考えるな覚えろ!」の関門を通過しなければならない。

考えながらでないと覚えられないから覚えが遅いのか(私)

横山さん:
> それでも「考えろ、そのためには覚えろ」じゃないでしょうか。

高度な文明(過去の総知識の集積)は、果たして、人間にとって
良い環境であるのか・・・厳しい環境であるのか・・・・。そんなこと
を考えたことがあった・・・。。。
高度な知識集積文明にオギャーと生まれたら、赤子達は、、どう
やってその文明に対処すればいいのだろうか。。巨大複合怪獣
に赤子達が立ち向かうには、ただまとまるだけではダメだろう。。
役割を決めて、その役割を互いが尊重し、計画し、連携して、協
力し、行動する。そうして立ち向わなければならない。。。

> > でも、今、インターネットという新しいツールを使いこなしつつあ
> > る人々の間では、その関門はあまり意味をなさなくなっているので
> > はないかな、と思います。

> 私は「考えない」の原因の1つとして「インターネット」も有るように
> 思えます。特に、若年期からネットサーフィンをしていると危険ではと
> 思います。この点は数学者の藤原正彦氏も同じ内容のことを述べられて
> ましたね。「家に百科事典を買ったからって、頭が良くなったわけでは
> ないでしょう?」ってね。それとこれからは「情緒力が大切」とも、
> 氏も小学校でのインターネット教育の行き過ぎに危惧を覚えておられ
> ました。

百科事典も、インターネットも、、やはり道具なのかななぁ〜。

> > 最近、一度でいいから、加工済みの情報の伝達を生業にしている人
> > ではなく、現場を肌身で感じとっている一次情報の発信者に、子供
> > を会わせてあげたいな、そういう人達が持っている気風を感じさせ
> > てあげたいなと、すごく思います。

現代はパフォーマンスの時代?
パフォーマンスというのは恐いことで、普段地道に苦労して
いる人の苦労より、一言気の利いたことを言う人間にスポッ
ト(人々の目)を当てる。
そういう現象を子ども達は、子どもの頃から経験し、本物とい
うものの価値を低めているような。。。先生自体がパフォーマ
ンス化しているような気が・・・。そうして育った子ども達には、
パフォーマンス社会以外の存在を知らないので、もう、どうし
ようもない社会が出来上がる。他の言葉で言えば、バブル社
会が生まれる。バブル社会、あるいはパフォーマンス社会で
は、現場で地道な場にいる人間達も、妙に浮かれていたりす
る。だれも本物を知らなくなっているのかもしれない。もしも、
この社会がすでにそうなっていると、スポットがあたる部分に
目が向いている自分たちの傾向を、誰も知らない。

> これは想像を絶するぐらい大切なことですね。
> 私「も」そう思うではなくて、私「が」そう思うと言い、だからこうする。
> 人はとても魅力的です。環境に関わる問題は何時もとても複雑で、知識を
> 直接適応できることなどほんとに希でしょう。自分の経験と多くの思索を
> 経て、自分が社会が、何時何をどう行動するか。そう言うことを考えること
> が出来る人を育てることが本当の教育ではないでしょうか。

インプットの脳の使い方と、アウトプットの脳の使い方と、アウト
プットし具現化する脳の使い方は、まったく別物のような気がし
ます。この三つは、一人の人間が体験しなければならない。
この三つまでも分けて役割分担する社会というのは、まず、
その社会の人間は、人間として何かが欠けてしまうかもしれな
い。そして、「思考と行動の分離」から来る悪弊で社会が崩壊
するような気がする。

> > ガウディは、詳細な設計図は描かなかったそうです。
> > でも、彼の死後80年近く経過した今も、その場で、何かが受け継が
> > れ、何かが共有され、それに惹かれて有能な人が集り、つくり続け
> > られている。協働の場に、必要な何かがそこにあるように思われて
> > なりません。何なのでしょうね。

巨大な蓄積物に張り付く人間。。。作る者、自らが作品の一部に
なっているのかもしれない。。。それを意図した作品だとしたら、
それは、すごい。。

> 目に見えない「場の構造」とでも言う物があるのではないでしょうか?
> 不勉強ですが、あの建物は実はそこなる鋳型に沿って作られているような
> そんなものが見える気がします。ガウディがやったことはそう言う構造を
> 人々の心の中に植え付けたことかも知れません。だとすると彼は偉大な
> 教育者だと言うことも出来ますね。

ガウディには、そういう思いもあったのかも。。。
人を巻き込む力、事実、あの聖堂には、ある。。

> ゲンゴロウさんへ
> > 「学校の影響力に感染しなかった人」というのは、、
> > ちょっと、信じられませんが、それ以外の環境にも
> > 大きく影響を受けていたか、あるいは、自ら学ぼうと
> > する強い魂があったのでしょうか。。うらやましい。

横山さん:
> 感染したが発病しなかったということかもしれません。だとすると、そう言う
> ものに出会う前から多くの病原体と触れあっていて、多様な免疫を持っていた
> と言うことかも知れません。人を見る眼というのはそう言う所がありますね。
> つまり、眼がないか幼いと偽物にころっと騙されるし、眼が肥えていると、
> 見窄らしく見える物の中から逸材を見いだすことができる。やっぱり如何に
> 豊かな経験を(子供の時分から)積むかと言うことでしょうか。仮に、学校が
> このまま残されるとしたら、それに負けないぐらいの心の体力を積んでおく
> 必要がありそうです。

上記の意見、一言一句、この身に染み渡った。
「学校教育に感染したが発病しなかった」というのは面白い。
「多用な物事に触れていたので、免疫があった。」これも面白い。
「人を見る眼というのは、そういう、様々な触れあいによって育つ」は、
ほんとにそうだ。子ども達に学校だけを与えていればいいという
考えがいけないことが見えて来る。

豊かな経験とは、質もそうでしょうが、、きっと量なのでしょう。。
それには時間が関係してくる。。豊かな経験(経験時間)を阻む
ものは、いったいなんなでしょうか。。と考えてもいいのかな。。
ゲームかな?受験かな?インターネットかな?算数かな?
イジメで悩むことかな?恋愛かな?とらわれかな?

> > そうそう、偏見だ!と言われてしまうかもしれませんが、
> > 女性の先生と男性の先生では、男性の先生が好きです。
>
> 中年の女性の先生には蛇蝎のように嫌われましたね。何ででしょうか・・・・
> 大学生の頃はおばさんキラー(NHKの番組モニター係の言)って言われたの
> ですが。何かそう言う先生は、人を「子供」や、「生徒」や、「年少」と言う
> 括りに分けて考える傾向が強かったのかも知れません。そう言う括りから逸脱
> するものに異常な嫌悪感を持っていたのかもしれません。

そういえば、私の好きな先生は、私を子どもとして扱わず、
対等に扱ってくれていたような。。。生意気なガキに対して、
どうしてそういうことができたのだろう。。。改めて尊敬してしまう。

> > 男女共同参画と言うけれど、、小学校には女性の先生が
> > 多い気がする。特に首都圏。。。
> > 私の学校時代を思い出し、先生を考えると、女性には強調
> > ・調和指向があり、男性には改革・独創的な印象がある。
>
> 性差による性向の特徴付けはあまり実りある議論とは思えませんが、私も
> 小学校で会った只一人の理解者は男性教師でしたね。彼も子供の頃そう言う
> 秩序の破戒者だったのかも知れません。

「性差による性向」は、私には気になってしょうがない。
人間が、完全に生物的でなくなったら、性差による行動や
思考は男女が同じようになるだろうが、生殖から考えると、
男の価値はゴミ同然で、女性は貴重で尊ばれる。
そのゴミ同然に扱われた男と、尊ばれながら育った女では
考え方に大きな隔たりがある。。
男は大義名分で戦場に行かされ、女性は大切にされる。。
この決定的な価値に男も女も、気がついていなくても、
だれもが大きな影響を受けている、、はずなのだ。。

> > それから、大切な時期の小学校時代に、大学の教授クラス
> > の先生を多くおけないものでしょうか。
>
> NPO/DGC基礎研究所の設立理念も「最先端科学技術と同居するまちづくり」です。
> つまり、お隣に住んでる変な人は実は素粒子理論の最先端研究者だって良いと
> 思うのです。そう言う人と学校以外でも普通に触れあって、飯屋でご飯食べ
> ながら、物理の話を聞くことが出来たら素晴らしい。時々は学校の理科の先生も
> 一緒に混ざって話し合ったり。のんべーだと思っていたら有名な作曲家で、
> 話を聞いていくと、言語学の本を何冊も書いていたりとか。こう言う場の構造を
> 作りたいというのがDGC基礎研究所の基本理念です。

こういう理念、、いいな〜。うらやましい。。
私の子供時代に、そういう環境が、私にあったら、、。。

> > あと、道徳や精神教育が「国語」の教科書を通して行われて
> > いるようですが、哲学を教科に取り入れてくれないでしょうか。
>
> これは全く同感至極です。現在は大学教育の再編という名目で直ぐに役立つ
> 情報教育などが偏重され、哲学や文学が軽んじられています。これは100年と
> 言う大計としては非常に憂慮すべき事です。大学からも「考える」教育が
> 姿を消そうとしている一端を表しています。哲学、論理学などは、高校の
> 段階で全ての生徒が学ぶべき基本中の基本です。知識やその善し悪しなどは
> 多分に時代の変遷を経験しますが、ロジックだけは不変です。それなくして
> どれだけ知識を積み上げたところで所詮は砂上の楼閣で、時が風化してしまう
> ものです。

う〜ん。。。もう、何も言うことない。。私ごときが同感しても、
どうってことないとは思いますが、、とてもうれしいお話です。

> > 考える教育ならば、やはり、哲学でしょうか。。。考えることの
> > 重要性は、過去の哲学者について学だけでも、、違ってくる
> > 様な気がします。家に帰れば、子どもの将来を心配する親が
> > 勉強勉強と言うのですから、教えなくていいから、考える時間
> > を学校が作って与えるしか、ないような気がします。
>
> 学校が当てないならない。なぜなら現在の学校は行政機関だからです。

なるほど。。

> 行政機関はおいそれとは自分からは変われない。既得権もあるでしょうし。
> 変わりたくもないでしょうから、子供の頭脳を守には親が変わるしかないのです。

なるほど。。

> 先ず、
> 子供に勉強を強いることがどういう事なのかを親が哲学することでしょうね。
> ちょっとお下品ですが、遺伝要因、環境要因共に含めても「馬鹿は馬鹿しか
> 生みません」、当然ながら。そして、普通人は直ぐに馬鹿になってしまいます。

やはり、、そうなのですね。。我が家を見ると、そんな感じがします。
ただ、
馬鹿とは何を指して馬鹿というのか?
利口とは何を指して利口というのは?
      ちょっと、、むずかしい。。私には。。。

> もし自分は馬鹿だと思う親は、子供をしかる前に自分が勉強すべきです。

言えてる。。

> 自分が馬鹿じゃないと思う親も、もっとしっかり勉強すべきでしょう。
> 自分が馬鹿じゃないと思い始めたらかなり危ない兆候ですから。

利口な人ほど、自分よりも利口な人を知っているようですね。

> > 高校の時の倫理の先生が、大学の哲学科の先生だったの
> > ですが、それは、ショックがあり、やはり、大きな影響を与えら
> > れました。
>
> そう言う人にゲンゴロウさんもなって下さいね。何時も発言楽しみにしてます。

かなりがんばらないと。。。

                 勝手に書きました。。ゲンゴロウ。。。










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