[BlueSky: 4543] 自分にやさしくない人間(副題:自分は存在するか?)


[From] "gengorou" [Date] Sat, 7 Sep 2002 21:04:49 +0900


青空MLの皆様、こんばんは、ゲンゴロウです。
また、思ったことを綴ってます。。
よろしかったらお暇なときにお読み下さい。


***********************************
 自分にやさしくない人間
   (副題:自分は存在するか?)
***********************************

 理由はよく分からないけれど、自分を大切にしない人は他者も
大切にしないように感じる。私たちは自分をもっと大切にしても
いいような気がする。
 しかし、誰でもそうだろうが、自分だけの利益ばかりを大切に
して他者を考えない人は嫌なものだ。しかし、私が、それ以上に
苦手としてしまうのは、「自分を大切にしない人」の様な気がす
る。


【自分とは何?】

 ところで、こんなことを考えていると、「自分」とはなんで
あるのかがよく分からなくなってくる。「他」のことを考えな
いで自分を見つめようとしても、私には、見つめる対象(自分)
がよく分からなくなってしまう。

 私が自分を見つめようとすると、まず、自分の過去が見える。
しかし、その時に見えるのは「私のやってきた事」で、それは
私自身ではない。。。今度は過去の自分ではなく「今」の自分
を見ようとしても、私が今、していることだけしか見えてこず、
やはり「自分そのもの」は見えない。

 自分について考えるためには、自分が見えなければならない
のに、考える以前に考えるべき自分そのものが見えてこない。
・・・いったい私が私を見ようとする時の「私」とは、なんな
のだろう。もしかすると、私だけでなく、誰もが自分を見つめ
るということは苦手なのかもしれない。いや、出来ないのかも
しれない。

・・・こんなことを考えてみると、もしも、人間に「自分」を
見ることができないとするなら、おかしな事が、人間には起き
ていることになる。自分の利益を考える人が「自分」を知るこ
とができないのに、その分からない「自分」の利益を考えるこ
とが出来ていることになる。
・・・もしかすると、、、ほんとうにもしかするとだが、自分
の利益を考えているような人は、実は、「自分」を知らない人
なのかもしれない。なんとなくだが、そんな感じがする。

 もしかすると、彼は自分の利益を考えているのではなく、た
だ、自分でも分からないことをしているだけなのかもしれない。
また、私が苦手な「自分を大切にしない人」も、もしかすると、
自分を大切にしないのではなく、実は、自分を知らない人なの
かもしれない。

・・・人間はほんとうに自分というものを確かに知っているのだ
ろうか。自分を見るときに、見る対象の自分が分からないのは、
私だけなのだろうか。。。。私には、探しても探しても、まるで
猿がタマネギやラッキョを剥くように自分という中身が出てこな
い。。。本当に自分なんていうシロモノがあるのだろうか・・・。


【タヌキにとっての自分とは?】

 タヌキ(動物)は、おそらく人間よりも「自分」を知らないだ
ろう。自分を知らないということは、「他」を知らないというこ
とでもある。
 自分と他。。このことを考えると、もしかするとタヌキ(動物)
が人間よりも自分を知らないのではなく、人間こそが「存在しな
い自分」というものを勝手に感じて、おかしな考え方をしている
のかもしれない。

しかし、借りに、人間的な考え方である「自と他」があるとして、
タヌキが、その「自と他の区別」を知らないと考えてみると、タ
ヌキは自分の巣穴も、自分が歩いている野山も、草原(くさはら)
も、木も川も、自分の子どもも、エサである他の虫に対しても、
「自分」、あるいは「自分の一部」だと思っているのかもしれな
い。

 タヌキ(動物)の、その自分の広がりを考えてみると、「自分」
などというものは、、本当のところ、人間にとってもそんなもの
で、「他」とハッキリとは区別できないものなのかもしれない。

 私が自分を見つめる時、鏡の力を借りて自分の像を映しても、
それこそ、それは肉体的な自分であって、私が見つめて知ろう
としている「自分」ではない。私が見ようとしている自分は他
者や他物に働きかけたり、働きかけられたりしている自分なの
で、どうしても他者と切り離しては考えることはできない。だ
とするなら、私にとって「自分」を見つめることは、自分の周
りの環境全てを見つめることになる。・・つまり、タヌキが感
じている「環境と切り離せない自分」、それこそが自分という
ことになってしまう。

もしかすると、ほんとうに、私たち人間は、「自分」というも
のを見誤っているのかもしれない。。見誤っているから、自分
を探そうとして、「純粋に個である自分」を探してしまい、、
「本来、個としては存在しない自分」、つまりありもしない
「自分」を探すから、死ぬまで「自分」が見つからないのかも
しれない。


【けもの道を歩いているのは?】

 自分と自分の周りの環境を切り離さないタヌキは、人間の考
え方で言うと、自分と他を区別できないということになる。。
だから、タヌキは、自分の周囲の物事や現象を自分だと思って、
大切にして、少なくとも自分を破壊するようなことはしないの
かもしれない。

 野山に入ると「けもの道」なるものが有るらしいが、それも、
もしかすると、動物が、やたらと自分(環境)を破壊しないよ
うに気を付けているために、いつも同じ場所を歩くので、野山
には「けもの道」が出来てしまうのかもしれない。

 人間は視覚的に個体である肉体を強く意識して、錯覚を覚え、
自分と他とを物的に切り離してしまう結果、本来存在しない
「個である自分」を作り出してしまって、その為に本来は自分
であるはずの「他」を大切にすることが出来ずに、何処でも歩
いてしまい、結果、道も幅がどんどんと広がってしまって、や
がて、道が道とくっついて、道には見えない広い不毛のけもの
道(広がり)が出来てしまっているのかもしれない。

【人間という動物の生態】

 私が、思っていた「自分を大切にしない人が他をも大切にし
ない」ということも、もしも、「自」と「他」とが切り離せな
い存在なら、当然のことになる。。
また、私が、純粋に自分を見つめたとき、他と切り離した自分
を探すことができないのも、当然のことになる。。。
本当は、、自分などという純粋な個などは存在しないのかもし
れない。
だから、人間は、自分に優しくなることが出来れば、他に対し
ても優しくなれるのかもしれない。。
人間は、もっと自分を大切にして、自分にやさしくしてあげな
ければならないのかもしれない。

そして、もしかすると、純粋な自分を探す私たち人間は、本当
の自分(環境)にやさしくないのかもしれない。

                     ゲンゴロウ




余談:哲学者は自我とか自己を探しているようだが、その時に
   現れるものは、見つめる自分である。 その見つめる自
   分によって見つめられる自分は、いつも、すでに他者に
   なってしまう。その時、常に、感情などのかすかなもの
   は、見つめる自分にあり、見つめられる自分にはない。
   人は、自分という存在を感じで感じている自分を自分と
   しているようであるので、感じによって繋(つな)がっ
   ていない「見つめられている自分」は、自分ではないこ
   とになる。結局はタマネギのように、いくら剥(む)い
   ても中身は現れず、人には永遠に自分が分からなくなっ
   てしまうかもしれない。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
GENGOROU
ホームページ http://www.alpha-net.ne.jp/users2/gengorou/
メールアドレス gengorou@m08.alpha-net.ne.jp
   人間物語・・・存在・時間・意識
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/gengorou/book/ningen.htm
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□









▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。