[BlueSky: 4523] 地球サミット10年と国際生態学会


[From] "suka" [Date] Wed, 21 Aug 2002 22:05:45 +0900

青空メーリングリストのみなさん
                    須賀です。

お盆をふくむ10日ほど、ソウルでひらかれた国際生態学会に参加する
ため、韓国にいってきました。この学会は名前のとおり生態学の国際学
会ですから、国連主催の首脳会議である地球サミットとは直接関係が
ありません。けれども、生態学は地球サミット後の地球社会の動きとも
わりあいふかく関係しあいながらこの10年やってきた部分があると
思います。1992年の地球サミットで生物の多様性に関する条約がつく
られ、その保全やその要素の持続可能な利用が政治的・社会的課題と
されるようになったこと、また一方で、生物多様性研究や保全生物学が
生態学の関連分野として研究者のコミュニティーのなかで大きな注目を
あつめるようになり、研究発表の量がふえたことなどに、そのことがあら
われています。

僕自身はそのなかでまことに微々たる些事にあしをとられてもがいて
いるにすぎませんが、そうした大きな動きがどんな成果をもたらしてきた
か、あるいは今後どういう方向ででそうした流れに棹をさしていけば
いいのかには小人なりの興味をもっています。みなさんご存知のように
今月26日から9月4日まで、南アフリカのヨハネスブルクでは、地球
サミットからの10年の節目をとらえて「持続可能な開発にかんする世界
サミット」がひらかれます。岩波書店の月刊誌「科学」の8月号では、
「検証 地球サミットから10年」と題する力のこもった特集も組まれ
ています。そんなわけで、国際生態学会できいたいくつかの講演と
「科学」の特集にあるいくつかの記事から、自分なりに印象にのこった
ものをご紹介して、身の丈にあった展望らしきものをひねりだせるか
どうかためしてみたいと思います。

と大きな問題意識をかかげながらいきなりしぼみますが、ソウルでは
体調をくずして安宿で寝てる時間が長かったです。おまけに自分の
発表がおわるとそそくさと本格的休暇モードにギアチェンジして釜山
に刺身を食べに行ってしまいました。そのていたらくですから、生態
学会全体の印象をとらえることなどぜんぜんできません(自信!)。
僕がきいた数少ない講演のなかからさらに数少ない例をあげてお話し
することになりますから、これは生態学という業界の話というより、僕
自身の個人的な関心の話とうけとっていただくのがいいでしょう。

「南北問題」「南北対立」などというときの「南」の特定の地域社会の
ひとびとの生活基盤やその利害をあつかった3つの講演で、その
問題設定のしかたやトーンが共通しているのが印象にのこりました。
生物多様性条約で理念としてしめされた保全と持続可能な開発の
両立という考え方にそった保全・開発の実行は可能かという方向での
問題設定にもとづいて、特定の地域社会を対象とした検証を試み、
結論としてはおおむね可能という意見をだしながら、今後より包括的
で多様なセクターや要素をくみこんだとりくみが必要、という条件を
つける、という議論のスタイルです。発表者は、中国、ドイツ、南アフリカ
の研究者で、対象となった地域社会は、それぞれ、中国、ベトナム、
南アフリカの都市や農村です。ひとことでいえば、環境問題に関心を
もつ生態学の研究者のコミュニティーのなかでは、出身国をとわず
おおむね妥当とうけとられるような内容で、同時にそのことを実現
するにあたっての地域社会や政策決定者などとのコミュニケーション
にも大事な課題がのこされているということをもきちんと指摘すると
いったものです。さらにいえば、研究の方法論は生態学というより、
社会学的調査や、経済学的な評価、伝統文化のもつ哲学の再評価
をふくんだ概念モデルの再構築と整理の試みといったものにもとづい
ていて、一般にイメージされる生態学の範囲よりかなり広い分野の
ものをふくんでいます。

で、僕の感想はといえば、どれもなるほどとうなずけるものばかりで、
けちをつけたいとか違和感をおぼえるとかいうところはほとんどない
のですが、しかしあえていうなら、拍子抜けするというか、どれも予想
できる範囲の話というか、いやまったくそうですなあ、というしかない
ような感じがしてしまったのも事実です。ここにはシニカルな意味あい
はまったくなくて、自分とちがった国・文化をフィールドにして、僕より
もずっと環境問題の人間的次元にふみこんだ研究をしている研究者
たちの考えることが、僕の予想をくつがえすような衝撃をもたらさず、
はあ〜、そうなのか〜、どこでもな悩みはおんなじなんだな〜、という
平々凡々たる感想をもたらしてしまったことへの、わが身に対する
忸怩たる思いがあるばかりです(もっとも、パワーポインターをつかって
陰陽五行説の英語の説明らしきものをパワフルにしながらSocial-
Economic-Natural Complex Ecosysytemなるおそろしく包括的な
概念について理路整然と、しかしきわめて早口でたたみかけるように
展開する中国のWangさんの姿に、日本にはいそうにないタイプの
研究者だなあ、とある驚きをおぼえたのも事実です)。

しまりのない感想文めいてきましたが、僕が国際生態学会で感じた
この印象は、「科学」の8月号で石弘之さん(「ストックホルムから
ヨハネスブルクまで」)が書いているNGOグループの次のような
現状批判とよく符合しているように思います。

・・・NGOグループは「地球サミットでは政治意思が行動に移される
希望があったが、その束の大半は、今も文書のなかに眠っている」
と不満を鳴らし、サミットに参加するNGOは提出予定の共同提言案
で「実行における危機」と訴えている。貧困撲滅、途上国の変革の
ための資金供与、先進国中心の生産・消費の変革、資源の適正な
管理、途上国を置き去りにしないグローバル化---、と問題はとっく
の昔に洗い出されているのが、具体化となると利害か衝突して思う
にまかせない。・・・

こうした現状(僕自身が感じた拍子抜けの感覚をふくむ)の背景に
ついて、同じ「科学」8月号の高橋一生さん(「不安定化する地球
社会と持続可能な開発」)が明快な見取り図をあたえてくれています。

それによると、世界の国々は急速に同質化が進みつつあり、
地球の多くの部分が相互にむすびつく「地球社会」が出現しつつ
ある。一方、古典的な主権国家を基盤とする「国際社会」として
の側面では、米国の力が圧倒的にまさる一極国際社会が出現
しつつある。「地球社会」は未成熟で不安定であり、「米帝国」も
安定性を欠いている。そのふたつの不安定さが共鳴しあって
いるなかで、持続可能な開発をすすめなくてはならない。そこで
の課題は3つある。

(1)地域コミュニティーの住民相互の信頼関係(social trust)
の強化(再構築)を中心テーマとしたあらたな平和構築を
  おこなうこと。そのなかでは、「市場グローバル化」(高速
  グローバル化)がもたらす不安定化への対応の同盟網
  として形成されつつある「市民グローバル化」(低速グロー
  バル化)の力学を強化することが重要な課題となる。

(2)「持続可能な開発」という概念を、防衛的なコンセプトから
  前向きな行動をかきたてるような行動的なコンセプトに
  転換させること。世界の専門家のあつまる会議で、その
  作業がはじまっている。

(3)地域コミュニティーから地球社会にいたるまでのリーチの
   長い感性をもったガバナンスを構築すること。そこでは、
   米帝国から発信されるガバナンス論と地球社会論の基盤
   としてのガバナンス論をどうむすびつけるかが重要になる。

ううむ、このようにまとめてみて、やっぱり拍子抜けなどしては
いられないという気にだんだんなってきました。

雑誌「科学」の特集には、このほかにもためになりそうな論考が
たくさんあります。

たとえば竹内敬二さん(「政治化する温暖化問題」)は、IPCCの
組織形態や論争のもつ政治的側面をあつかって、科学と政治的
な運動の微妙な関係について、温暖化対策の推進を支持する
立場からの問題提起をおこなっています。このメーリングリスト
で以前話題になった「懐疑的な環境保護論者」という本についても
紹介されています。

興味のあるかたはぜひごらんになって、できれば感想などおきかせ
ください。それではまた。

   須賀 丈







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