[BlueSky: 4330] Re:4321 「環境問題」と「時間と空間」と「人間」と・・・・・


[From] "gengorou" [Date] Sun, 2 Jun 2002 17:22:54 +0900


ゲンゴロウです。
****************
先に、紙面?を借りて・・・稲垣さん、その後の様子の
メール、ありがとうございました。なんかほのぼのとした
気持ちになりました。お仕事大変でしょうが、頑張ってください。

−−−−
小宮さん、お返事をありがとうございます。

【ゲンゴロウ】
> > 私たちが遠く離れた場所や、遠く離れた未来の影響問題を
> > 考えるのは、私たちに「対象のない愛」「見返りのない愛」
> > というものがあるからなのかもしれない。
> > 私たちは、国境を越えてグローバルな影響問題を考える。
> > 私たちは、時間を超えてグローバルな影響問題を考える。
> > 私たちは、人類を越えて、、全生物の影響問題を考える。

【小宮さん】
> 環境を守る理由を「愛」とするのは最も一般的な答えなんだろう
> と僕も思います。動物を保護したり、自分がもういなくなっている
> ような未来のために今の生活を犠牲にしたりするのは、やっぱり
> なにか愛するものを守りたいという気持ちなんでしょうね。
> でも環境問題の場合は利害関係が複雑だから、「愛」
> が理由で環境を守る、というのでは意見が対立したときに
> 押し切れないんでしょうね。そんなよく分からないものの
> ためになんで今不便な思いをしなけりゃならないんだ、と。
> だから表向きには自分の今の生活のため、とか人類が
> 存続していくため、とかいう理由の方が意見の合意は
> とりやすいのかもしれません。
> (もちろん人類の存続という理由も、今ではかなり重要な
> 問題になってるんでしょうけど。)

環境について私たちが考える理由を「愛」だとするのは
一般的で、当たり前なことで、役には立ちそうもないよう
ですね。確かに。。
まあ、また無駄かもしれませんが、考えてみましょうね。

−−−
ここに二つの命題?が出ました。
一つは、「人間には私たちが想像している以上に強い「愛」
があり、私たちの営みに深く関係している」です。
もう一つは、「環境問題の場合は利害関係が複雑だから、
「愛」が理由で環境を守る、というのでは意見が対立した
ときに押し切れない」です。

前者は私が先のメールでだしたもの、後者は、その私の
メールに対しての小宮さんの意見。。私としても、この
二つの命題に異論がないのです。つまり、認めます。
ということで、この二つの命題から、考えてみます。
・・・・・
いろいろ考えて・・・どうやら、
「環境問題の対立」とは、実は「対立」というより、
「人々の愛の対象」がズレているだけなのではないかと、
推測が進んでいます。
「愛の対象がズレているだけ」という漠然とした予測で、
「対立」や「利害関係」について、考えさせてください。
めちゃくちゃになるかもしれませんので、無理に読まな
くてもいいです。。

−−−
もしかすると、様々な環境問題における対立は、対立
する者同士の「対象のズレ」が対立を起こしているの
かもしれません。「誰に?いつ?愛を上げるか」で、
対立が生まれているのかもしれません。

  誰に?ということについて、その対象を考えて
  みると・・・
  クジラに?人間に?全生物に?恋人に?自国の
  国民に?全人類に?組織に?家族に?自分に?
  仲間に?と、その対象のズレ、それだけで対立
  が生まれてしまいそうです。

  いつ?ということについて、その対象を考えて
  みると・・・
  直ぐに?数年後に?それとも20年後に?100年
  後に?未来永劫に?と、それだけで、やはり対象
  にズレが生じて、対立が生まれてしまいそうです。

このように、もしかすると、「誰に?いつ?愛を上げる
か?」のズレで対立が生まれているとするなら、その対象
(誰に?いつ?)を明確にしてみると、対立点が見えて、
合意が得られる方向が見えてくるかもしれません。
 (いつものごとく、具体的には思考できていませんが・・・)

 ※この「愛」を「利益」と読み替えることが出来る。
  そう読み替えると、「愛を向ける対象のズレ」とは、
  「利害関係の相違」となるな〜。。。
  
小宮さんがおっしゃった「人類の存続という理由は、意見の
合意をとりやすい」というのも、当たり前のことに聞こえま
すが、よくよく考えると、面白いです。。

「人類の存続」という事柄を、上記の対象(誰に?いつ?)
で言い換えると、それは対象の拡大が起きているのではな
いでしょうか。
「誰に?」は、全人類で、「いつ?」は、未来永劫・・・
「人類の存続」を、空間と時間に分解して言うと、、、
「全人類、未来永劫」という意味が現れるようです。
それは、対象のズレを生む、いつ?誰に?が全て包含
されるので、対象のズレがなくなるのは当然のようです。
必然的に対立も起きるはずがありませんね。

この「対象の拡大」、つまり「愛を向ける対象の拡大」、
すなわち「人類の存続」では、小宮さんのおっしゃる通り、
具体的な話し合いに入ると、再び対象の縮小が起き、対立
が生まれてしまうようですね。
具体的な決定の段階で、その対象(誰に?いつ?)が狭ま
り、結局、ズレが生じ、対立が生まれてしまう。

このズレは、どうも調整が出来にくい性質のものの様な気が
してきました。調整が出来にくい場合には、どうしたらいい
のか・・・。
善悪で基準を定められない問題、あるいは、どんな基準を
もうけても、文句が出てくるような問題が環境問題という
問題なのかもしれません。(当たり前と言えば当たり前だ。)

Aにもできない、Bにも、Cにもできない。
だとするなら・・・どうするのか。。。
この問題の解決は、、横に置いて、ちょっと気が付いたの
ですが、「人類の存続」という理由(目的)が、環境問題
の解決にならなくても、「人類の存続が危うい」というこ
と、あるいは、「地球の全生物の存続が危うい」というこ
とは、環境問題においては、最重要決定の要素に、しなけ
ればならないかもしれません。
その意味での意見が ↓ ですね。
          ↓
> (もちろん人類の存続という理由も、今ではかなり重要な
> 問題になってるんでしょうけど。)


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中途半端ですが、これで。。ゲンゴロウ。。。





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