[BlueSky: 4256] Re:4249 心的生物を食糧にしても差し支えないか?  Re 。IWC


[From] "Etsuko Tanaka" [Date] Mon, 27 May 2002 10:27:24 +0900

田中です。

ゲンゴロウさん:
> もっと心的な存在である人間、人間自体の存在に関わる
> 問題なのではないのだろうか。。。
> ---
> クジラを捕る状況を考えると、あまりにも悲惨な光景が目
> に浮かびます。家族や親子で泳ぐ鯨を捕鯨船が追いかけて、
> 夫の前で妻を、子の前で親に、モリを打ち込む。海は血に
> 染まり、その中を逃げることもなく他のクジラが泳ぐ。。

私は、「今更鯨を捕る必要はないのに。他に食べ物は
たくさんあるんだし。」と、漠然と思っていましたが、
これを読んだとき、テロや戦争の映像がオーバーラップして
しまい、ゾッとしました。
鯨を捕る瞬間は、戦争と同じ絶望感に満ちたものなのかも
しれません。

> 私たちが食糧にする牛や豚には、クジラほどの「情」はな
> いように思えるのですが、その牛や豚にしても、仲間の前
> や、子の前で、ヤリで突っついて息の根を止めるような行
> 為はしていないと思います。出来るだけ安楽死的な殺し方
> をしているのではないでしょうか。。

牛や豚、鶏の場合、「殺し方」よりも「育て方」の方が問題だと
思います。食肉用に生まれてきたとはいえ、肉にされるまで
の数年間を、幸せに生きられたかどうかが、肉の「質」に
かかわってくると思います。
野菜だって、作り手の心の影響を受ける([4200])のですから、
動物が影響を受けないわけはないと思いますし、
当然、食べる人にも影響すると思います。

鯨は、少なくとも生きているうちは、幸せだったに違いない。
幸せだった鯨を食べたら、さぞ美味しいでしょう。
でもやはり、死の瞬間の絶望と悲しみは残るでしょうね。

>  その知能こそ人間ほどではないにしても、イワシやサバ
> とクジラは異なる「心的な生物」なのではないでしょうか。

イワシやサバに失礼な気もしますが、クジラほど「心的な生物」
ではなさそうですね。
でもイワシやサバだって捕らえられなければ、大海原を自由に
泳ぎ一生を全うすることができたはずなので、獲って
しまったものは無駄なく食べてあげないといけませんね。
他者の生命を奪う者の礼儀として。

> 海に血も広がるけど、子を守りながら、逃げまどうクジラ
> を殺すとき、嘆きも広がるのではないでしょうか。。
> 私が、懸念することは、このことに加えて、その嘆きや悲
> しみは、同じ心的な生物である人間にも影響を与えるとい
> うことです。
> 心というものは、心ある人々にも広がるようで、なんか、
> いやな予感がします。。。
> また、心が不毛だった時代に戻りはしないだろうかと。。

人間が作り出した悲しみですから、いつか人間に
返ってきてもおかしくないですね。
ゲンゴロウさんのいやな予感が、的中しないといいのですが。

クジラやイルカは人間の心を癒してくれるのに、
人間は傲慢ですね。




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