邑瀬です。
時間がないので簡単に説明します。
須賀さん:
> 1)科学的なもののみかたや考え方を尊重すること。
> 2)環境や自分のものの感じ方をとらえるときに科学
> だけにとらわれる必要はないということ。
>
> このふたつは両立できるのではないでしょうか?
>
> この点については、発言されている多くのみなさんの
> 姿勢が、みかけ以上に一致しているようにみえます。
私もそう思います。
ものの説明に科学を持ち出したら、科学的な議論に巻き込まれるのは仕方のな
いことです。つまり、ものの説明に(一般的な言葉ではなくて)科学の理論や専
門用語を使った時点で、(望もうと望まないとにかかわらず)その人は「科学」
という土俵に自ら上ったことになり、そうした以上は(科学的な)ルールに従う
べきだと思います。科学的な理論、データ、用語の使い方が正しくなければそ
れを指摘されてもしょうがないのです。
私は巨木を見てまわるのが趣味で、そのおかげでいろんな神社に行く機会が多
いのですが、拝むときは「二拝二拍一拝」しますし、(お金を出して)お守りを
買うこともあります。いきなり二拍してしまいがちですが、それは神社(とい
う土俵の中)でのルールを尊重したものではありませんね。拝むときは「二拝
二拍一拝」するものだと言われても仕方のないことなのです。言われるのがい
やなら神社に行くのをやめるほかはないのです。
初めから「情」だと言えば誰も文句を言いません。[4191より]
というのは、そう言う意味です。だから、お守りを(文句言わずに)買うのです。
(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。