石川芳彦です。こんな事を書いて失礼でしたら申し訳ありません。
元来理屈っぽい性格で、30才頃の就職試験の面接試験で、長所は論理的で
あること、短所は理屈っぽい事と答えたおぽえがあります。
基本的に定義と公理、公準さえ統一しておけば全く同じ定理しか出来ないと
思っていました。
学生時代にヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」の本の墨に細かな字で
一生懸命メモを書いていました。
しかしある時、論理だけではは何も生み出さない事に気が付きました。結論
は感情が作るのだという事に気が付いたのです。直感が導かなければ何の結論
も出ない事に気が付いたのです。。
それ以来、私は「理」を単なる道具として考えるようになりました。30才
の就職試験ではそれが出たのです。
私は、水と電気の問題も定義の捕らえ方の問題ではないかと感じています。
お互いに文章の中に感情を盛り込まないようにしたいものです。
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