[BlueSky: 3606] Re:3601 環境教育など


[From] "suka" [Date] Sat, 25 Aug 2001 23:39:19 +0900

和尚さん 葛貫さん みなさん

   須賀です。

和尚さん:
> 「行動」への動機付けに繋がらない「知識」を「比較的容易」に「伝達」する意
味っ
> て何でしょうか?

この問いに「反論」(?)しようとして和尚さんの問いかけをよみなおして
いるうちにその意味深さにうならされてしまいました。

和尚さん:
> 前にも「共通幻想(だったかな?)」の話で、「経験を経ないで人は真に理解でき
> ない。」と言った話をした覚えがありますが、未完成でも良いから先ず体験が先の
> ように思います。

今日たまたま近所で買ってきた
藤井友樹(写真)/田中裕也(解説)『ガウディの独り言』(アートダイジェスト)
という本のなかに、ガウディのことばとしてこういうことばが
のっています。(みなさん、もちろんご存知だと思いますが、
ガウディというのはスペインの有名な建築家です。)

「科学は、理論的であるが、事実は、経験による。
芸術は、前例によって学ばれる。」

「知性は科学よりまさっている。
知性は総合であり、科学は分析である。
ある一つの分析の集合はまだ知性ではない。
知性は富であるが、科学は富ではない。
科学はにせ金を流通させないために役立つ。」

僕は、ガウディが言ったよりも、科学は事実に基盤を
おいているし、知性なしに科学はなりたないと思って
いますが、ガウディの強調したいことは理解できます。

で、和尚さんの最初の問い、

> 「行動」への動機付けに繋がらない「知識」を「比較的容易」に「伝達」する意
味っ
> て何でしょうか?

に対して、ガウディの「科学はにせ金を流通させないために役立つ」
がひとつの答えになるのではないかと思ったのですが、よく考えると、
にせ金を流通させないために役だつほどの科学は、「経験」なしには
習得できないし「比較的容易」に「伝達」できるほどの知識の範疇には
はいらないのですよね。

それを伝達するには高度な技芸を必要とすると思います。

「知識」の高度さではなくて伝達する技芸の高度さですね。

でもその技芸を体系化するこころみはこれまであまり制度化
されていないので、まだやることはあると思います。

和尚さん:
> 知りたいと言う積極的な欲求も、体験に根ざした正確な知識もないところ
> に発生する無知、逆に字花のような誤ったイメージが諸悪の根元の様な気がしま
す。

これについてはまったく賛成です。ここ何年かずっと考えつづけて
きてどう表現していいかわからなかったことを言ってくださったという
感じがします。

どうもありがとうございました。

   須賀 丈



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