尼崎市の一ノ瀬です。
松尾さん#3538<
致命的とも言える大きな欠陥とはどういうところなのでしょうか?
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温暖化ガス排出削減は、一朝一夕に実現できることではありません。技術開
発、インフラの再構築、人々の生活様式の変更、等様々の課題をクリアして行か
ねばなりません。
多分、非常に長い間、場合によっては今後数十年以上の息の長い取り組みを続
けることで、初めて真の温暖化回避が実現できます。しかも、そのような長期間
に亘って、地球上の全人類がこの目的のために協力し続けなければなりません。
地球環境問題と呼ばれる所以です。
そのためには、一体何が最も重要なのでしょうか?
私は、「公平性の確保」こそ、最も重要だと考えています。
にもかかわらず、京都議定書は、区々たる数字のつじつま合わせばかりで、こ
の根本が欠如しています。
そして、根本を定めないまま、目先の「**%削減」という表面的な数字に拘
ったために混乱を引き起こしました。
「1990年の排出量を基準にして**%削減」という決め方自体からして、1
990年当時の排出量が少ない、発展途上国を著しく不公平に扱っています。
大きな欠陥です。
この矛盾を回避するために、「先進国のみが削減義務を負う」という論理が編
み出されたわけですが、一度こう宣言してしまうと、その後に、発展途上国に削
減努力を促すことは非常に困難になります。だから、未だに具体的な実現の目処
が立っていません。
これも大きな欠陥です。
第一、第二の欠陥を補うために、結果として、排出権取引などの、様々の複雑
な分かりにくいルールが付加されることになりました。
これも大きな欠陥です。
更に、EUは集団として削減を達成すればよい、という詭弁が導入されまし
た。
EU内部には、旧東独地域が含まれています。旧東独地域は、破滅的な経済後
退から未だ抜け出せていませんが、温暖化ガスの排出は激減しました。EUの排
出削減は、大部分が旧東独地域の寄与です。失業や自殺を幾ら出しても良いとい
う温暖化ガス排出削減など、欠陥以前の、非人道的やり口です。
”理念無き各論の寄せ集め”それが京都議定書を評するに最も適切な言葉だと思
います。
これら全て、京都議定書の欠陥です。
なぜ、「温暖化ガスを排出する人類は全て、無駄な排出を避けるために、経済
的技術的に可能な範囲で努力する義務を負い、究極的には排出量を削減させる義
務を負う」と謳わなかったのか?私にはそれが不思議でなりません。
京都議定書を巡っては、”先進国は努力が足りない”とか、”途上国が削減義
務を負わないのはおかしい”とかいった、見苦しい非難合戦が起こっています
が、不毛だと感じています。上述のような、京都議定書の内容を放置していて
は、進展は期待できません。
以前にも指摘したことがありますが、不公平で、しかも、肝心の温暖化防止へ
の道筋が全く見えていない議定書に対して、民主主義国家がそれを批准しなかっ
たとしても、むしろ当然であるといえます。
誤った議定書を改めるのを、ためらうべきではないと思います。
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