葛貫です。
ゲンゴロウさん:
> そう考えると、人に分かってしまうような「何かをして人を苦しめる
> 人間」は、まだ善人に近いですが、人に分かりにくい、「何もしていな
> い」と言いながら人を苦しめる人間の「何もしていないことをする」行
> 為は、巧みであり、見えにくいことであることから、私たち人間が、憎
> まなければいけない行為であると思います。
ゲンゴロウさんは、いじめを念頭において書かれたのだと思うのですが、
心が望まないことを、頭の「〜べき」という命令でやろうとしても
苦しくなるだけ、ということも、あるのではないでしょうか。
正義感とか善意とか、頭の部分でかかわり始めて、結局、心が持ちきれ
なくなって、衝動的に突き放し、かえって深い傷を負わせてしまう場合
もあるのではと思います。
その人が持つ余裕というか、許容量に関係してくるのだと思いますが。
無視等、敢えて示す悪意も、敢えて見せる善意も、関係者の幸せには
繋がらないような気がします。
それでも、敢えてしなくてはいけない時もあるのかもしれないけれど。
う〜ん、よくわからない、です (^^;;。
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