[BlueSky: 3099] Re:3097 脱ダム宣言


[From] "Y.Kuzunuki" [Date] Mon, 12 Mar 2001 11:07:09 +0900

おはようございます、葛貫です。

野池さん:
> ぼくは長野県民として、自分自身を含めて「頑張れ長野県民」と
> 言いたいのです。

長野で生れ育ち、長野の山で逝ってしまった友人がいます。
大学では環境保護を学び、地方公務員として故郷で職を得たの
ですが、配属されたのは保護関係ではなく開発に関る課でした。
しがらみが多い所謂旧家出身のその人が存命であったら、今、
どのような想いで「脱ダム宣言」と向かい合い、どのように
処していただろうかと思うと、【2846】に書きましたように、
> 一種の極限状態で「自分」に直面することは、辛いことですね。
> ある程度余裕を持っている、今、この状態で自分の頭に浮かんで
> くるもっともらしいこと、私、あまり信用していないんです。
ということで、「何を、どう?」と聞かれても答えようがない、
「頑張れ」という言葉を心の中で繰り返すことしかできません。
そして、その人がどのような結論を出したとしても、ただ事実と
して「そうなんだ」と自分は言っただろうなと、思われます。

> きっとそこには一地方にとどまらない問題があるからでしょう。
> 「脱ダム宣言」の先にあるのは、地域固有の自然の個性(適切な表現かわかりませんが)
> にそった人の暮らしをどうしていくのか、という問いかけだろうと考えます。

【2986】で須賀さんが、
> そしてそれらの多様性尊重の考え方が支持をひろげるプロセスも
> ミーム(文化情報)のあいだの競争として記述されてしまうかも
> しれないという逆説がありますね。
と書いていらっしゃいましたが、グローバリゼーションによる画一化
より、「地域固有の自然の個性にそった人の暮らし」が守られる方が、
自分が思い描くユートピアに近い私としましては、結果としてそう
なって、「ほら、やっぱり多様性尊重は自然な流れだったんだよ」と
いうより、むしろ、その良さを広報したい、簡単に淘汰されてしまわ
ないミーム(この単語、御法度?)を植え付けたいという気持ちが
強くあります。そのような意味で、自分の子供達には、「センス 
オブ ワンダー」を感じる機会を持たせたい、「べき・はず」という
理屈の次元ではなく、未知のものへの畏敬の念のようなものを抱きつつ、
好きなものを守りたい、そのために自分の欲をセーブするという自然
な心の流れを持ってほしいと願います。

でも、これは私の好みに帰するものだ、という認識をどこかで保って
いたいと思います。

> 「国vs地方」とは、いかに権力にこびないかという問題でもあります。
> いまの権力は利権と強く結びついており、
> その利権を維持するために環境が犠牲にされてきたと思います。

そうそう、よりによって、今この時期に、と思うようなニュースも
ありましたね。
裾花ダム水害訴訟で原告の請求を棄却 長野地裁
http://www.asahi.com/0309/news/national09025.html
「・・前略・・佐藤裁判長は、ダムは河川管理の一つの方法であるとして、
結果的に洪水調整機能が働かなかったとしてもそれだけで設置、管理
に問題があったとは言えないと判断した。ダム所長の過剰放流操作に
違法性があったとする原告の主張についても、佐藤裁判長は「正確な
降雨量の把握は困難であり、原告の主張は結果論」などとして退けた。」

「公」に過剰な期待は抱かない方が良さそうですね。

今回の「脱ダム宣言」、「環境」を利用した利権争い、意地の張り合い
へと流れてしまわないよう、祈っております。
明後日のシンポジウム、豊かなものになりますよう、祈っております。
#祈っているだけで、役には立てないですけれど(^^;;。

では。




▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。