おはようございます、葛貫です。
ゲンゴロウさん:
> またまたMLにこの様なメールを出してしまいました。
> (皆様,ご理解ください;;;;)
これ↑、私信で戴いていたら、相当、悩んだと思います(^^;)。
夜中に書かれたメールは、刺激が強過ぎるかも。
> 私は,あまり絵のことは分かりません。でも,葛貫さんから言われて,
> あの「生々流転」の絵が,感慨深いものに感じられ,とても好きにな
> りそうです。何か一つ好きなものがあるというのは,幸せなことです。
表現の仕方は大部違いますが、似たような感性を持っているのだと
思います。そして、実際にお会いすることがなくても、そのような
人が、同じ空の下で生きていることを知っていることは、元気の源
になり、幸せなことなのだと思います。
新聞に先日、芥川賞を受賞した堀江敏幸さんの「熊の敷石」と
いう本の広告が載っていました。その中に、
ながくつきあっている連中と共有しているのは、
社会的な地位や利害関係とは縁のない、
ちょうど宮沢賢治のホモイが取り逃した貝の火みたいな、
それじたい触れることができない距離を要請する
かすかな炎みたいなもので、
国籍や年齢や性別にはおさまらないそうした理解の火はふいに現われ、
持続するときは持続し、消えるときは消える。
不幸にして消えたあとも、
しばらくはそのぬくもりが残る。
と本文が引用されていました。
全体を読んでいないので、どのような文脈の中で語られた言葉なのか
わかりません。「惹」という字を見て考え込んでしまったのですが、
共感のかすかな炎を持続させるためには、若い心が持つ強風より、
適切な距離を保ち、炎が消えないように、それぞれが生きている場に、
そっと空気を送り続けるような気持ちの方が大切なのかもしれないと
思いました。
> ほんとうに葛貫さんはいろいろなことをご存じだな〜と,
共通一次を突破しただけの大雑把で浅薄な知識です。
気にするような社会的な立場を持っていないので気楽に書けるだけです。
話が広がってゆけばいいなと願って書いています。
ここのMLには、いろいろな分野の深い知識を持った方がいらっしゃる
ことと思います。フォロー、お願いします<(_ _)> 。
では。
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