[BlueSky: 2841] Re:2839 「禁じなければいけない遊び」


[From] "gengorou" [Date] Mon, 5 Feb 2001 23:42:11 +0900


葛貫さんを独占?(^^)ゲンゴロウ。
********************************

>> 【葛貫さん】
>> >優しいゲンゴロウさんを、泣かせちゃうかもしれないけれど、
>> >映画の「禁じられた遊び」は、死を悼み、お墓をつくって上げる
>> >「優しい私」を演じる心地好さを知ってしまった子供が、小動物を
>> >殺し、お墓をつくり続けるの話だったような気がするのですが・・・・。
>
>普段、1ページの報告書も、300ページの論文も「要するにこういうこと」
>と150字程度に要約する仕事をしているので、

ひぇ〜,300ページを,150字ですか。。しかも,むずかしい論文を。
ふーむ。。すごい。でも,ちょっとうらやましい仕事かも。

>身も蓋もない書き方になってしまって、ごめんなさい。

いえいえ。お手数をおかけします。
私,話すのは好きなのですが,
人の話を聞く能力がちょっと劣っています。
読解能力がない。。(要約の仕事は,出来ないなぁ〜)


がんばって葛貫さんの説明を,復唱すると,,
「墓を作って遊んでいる時点では、死は、他人事で、遊びでしかなく,
当然,両親が死んでしまった時も「死」が何を意味するのか、
わからなかった。それは,死んだ者をまだ,大切だとは気が付いて
いなかったから。」ですね。
人の死への悲しみは何かと考えると,
ほんとうに,そういうもの(大切な者の消滅)なのかもしれません。
そう考えると,あの映画で二人の子どもがお墓を作っていたのは,
悲しみではなく,ゴッコという遊びだと,分かります。
やっと,分かりました。(分かっていなかった。。)

すると,人は,大切な者をなくして,はじめて
死の悲しみを体験し,人の命の尊さを知るのかもしれませんね。
で,その例が,ベトナム戦争における米国人の体験なのですね。

>ベトナム戦争に対する反戦運動が米国で高まったのは、当初の予想に
>反して戦争が長引き、言い方は悪いのですが、社会からはみ出て軍隊
>に入った人だけではなく、夫、息子、友人として社会的に受入れられて
>いた人達にまで戦死者が広まり、戦争がゲームではなく、大切な者の死
>を賭してなされているリアルなものであることを、大衆が自覚し始めてか
>らだ、という話を読んだことがあります。
>(何で読んだか思い出せない、ごめんなさい)

これ,家内にも聞かせたら,
「あ〜,,う〜ん,そういえばそうだよね〜」と,深く納得し,
「そういえば,第二次世界大戦でも,それほど,多くは死んで
 いないわけだしね〜」と。。。
私も,納得です。

>自分でないものと向かい合うことにより、自分であることを識るのだと
>思います。でも、別に自分であることを正当化し、殺し合う必要もない
>のでは、と思うのですが。

そうんなんですよね。なにも殺し合うまで行かなくてもと,
思います。しかし,この世の中,教育を受けて,深く考える
人ばかりではないので,おかしな思考に従って行動がはじまる。。。
また,私にすると,
人の精神的な存在は,ほうっておくと希薄になるので,
比較思考で,誰もが自分を際だたせようとしているように見えます。
それで,さまざまな「差別意識」が人の心の中に芽を出してしまう
ように思えます。小さな差別意識でも,育ってしまうと,殺戮に
発展してしまうような。。

>自分でないものが存在しないと、自分であることを実感できないのに、
>自分と異質のものと出逢うと「ふ〜ん、面白いね。ま、いろいろだ。
>どっちが心地好い人生を送れるか、生き様の対照実験(?)しましょ。」
>と、放って置くことができず、同化させたくなる。抵抗されると排除したく
>なってしまうのは、何故なんだろう。

人が「異を好み,同時に,同をも求める」のは,人という生物の
一つの確かな性質だと,私も思います。人が,
異を好むのは,おそらく自己の顕著化から生まれていて,
同を好むのは,「シマウマの群」と同じ,隠れミノ的な性質
からくるのだと思います。
まったく矛盾した性質を人間という生き物は持っているなぁ〜
と,思います。

>どのような体裁の良い大義名分を掲げていても、実際には資源や利権
>を巡る争いがほとんどなのでしょうけれど。

もちろん,私も,人の争いのほとんどが資源や利権の奪い合いだと,
思います。ただ,
それを別な言い方で言うと,資源の奪い合いなどは,
人間の肉体存在の維持のための行為の延長であるので,
もう一つ,人間の条件である精神の存在がどうなっているのかと
思い浮かびます。
精神的な存在維持「も」,紛争を大きくするエネルギーになって
いるように思えてなりません。
あるいは,精神的な遺伝子を残そうとする動きも,人間には
すでに起きているのかもしれません。
先日,葛貫さんに教えていただいたように,
「どれか一つ」あるいは「どっちか」ではなく,
ほんとうに物事の状態や原因には,いくつもが重なっている
と,考えて行かなければいけない感じがします。

*************************************************
ゲンゴロウ。。










▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。