こんにちは、akiraです。
澤口さんwrote:
>これは環境問題ではなく、資源分配の経済問題ですね。
環境問題と経済問題は分かち難く結びついています。
それは、第三世界の環境問題が、南北格差という経済問題に
大きく根ざしている事実からも明らかです。
世界のすべてを細分化し分析する事によって理解するという近代科学の
限界が、象徴的に表れているのが環境問題である、とも言えます。
> 環境問題というのは人間社会・集団ができるだけ体制の急激な変化を伴わず
> に持続的に存立しよう、という問題ですから、その「極めて特殊な」状況下
> の範囲でコントローラブルな部分をどうつついていくかではないでしょうか。
これは危機感の問題だと思います。
例えば酒飲みが肝臓を悪くして医者に診てもらったとします。
「今のペースで飲んでたら、肝臓がかわいそうだよ。少し減らしなさい」
と言われたら、自分に言い訳をしつつ、できるだけ飲む量を減らさない
ように、でも、減らそうと努力はするでしょう。
「もう、肝臓のダメージが限界を超えているから、酒をやめないと死ぬよ!」
と真剣に言われたら、命懸けでも酒を愛する人以外は、まず、酒をやめるでしょう。
状況判断と、危機感の相違です。
ぼくの認識は、後者にあたります。
文明を今すぐやめるなんて事は、考えてはいませんが、相当な犠牲を払って
英断しないと、かなり、危険だと思っています。
多分それが、最大の食い違いなのでしょう。
> 生命の歴史云々を持ち出すのであれば、今なにしようとしなかろうと10億
> 年後くらいにはあまり関係なくなっているでしょうし、宇宙全体の歴史では
> それこそ生命などは一時的な現象なのですからそれこそどうでも良くはない
> ですか。
結局、生命の奇跡的なまでの調和と美しさを、人工世界以上に惜しむか、
という事だと思います。ぼくは、惜しみます。その、36億年の奇跡を、
たかだか一万年くらいの文明人が、百年単位の短い時間で破壊してしまっては
いけないという、内的な倫理観ですね。
>ジェット機でツアーをくんで
>「やっぱり物質文明はいかん」と主張する感覚は、わたしにはわか
>りづらいものがありました。
>古代の伝統と文化の保持のためにパソコン2台とプリンターをホピ
>族にプレゼントしたそうです。ますますわからん(^^;
確かに。先住民が英知を語る世界ツアーとかを興行して、彼らにべらぼうな
ギャラが支払われていたりしたら、しゃれにもなりませんね(^_^;)
ギリシャ神話か何かで、手で触れるものみな黄金と化してしまう悲劇の王、
というのがありました。結局、この現代文明は、関わるものすべてを、
そのシステムの中に取り込んで変質させてしまうのかも知れません。
どうもぼくの中には、深い所にあるぬぐい難い無力感、があるようです。
それに駆り立てられて、発言が過激になっているのかも・・・・
でもそれを、他人にぶつけてしまっては、社会性が問われますね (^_^;)
それでは。 akira
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