[BlueSky: 200] Re:195 技術万能論と自由意志


[From] can32960@pop07.odn.ne.jp (yuichiro) [Date] Thu, 29 Jul 1999 00:52:41 +0900

後藤さん、みなさんこんにちは。小宮です。

後藤さんwrote;
>> うーん、かなり厳しい御意見ですね(^^;企業に努めて給料をもらって
>> いる技術者としては、恥ずかしいばかりです。科学技術の進歩、利潤
>> 追求の弊害に対しては僕も同じ意見なのですが、ちょっと西洋イデオ
>> ロギーの弁解もしておこうと思います。
>
>僕自身は、社会構造的な問題に焦点を当てているつもりです。ですので、
>「恥ずかしい」思いをさせてしまったなら、誠に申し訳ないと思ってい
>ます。僕自身の方こそ「恥ずかしい」存在ですから、そのような思いを
>させてしまったのです。それこそ、「恥ずかしい」わけです。

御指摘ありがとうございました。確かに誤解していたようです。後藤さん
が「技術の進歩」を絶対善とするものそれ自体(特に企業)を批判されてい
ると勘違いしていました。

>ただ、僕としては、技術万能論がイデオロギーでも何でもなくて、価値
>中立的なことなんだという思い込みが、理工系の方々ばかりでなく、わ
>が国の多くの人々に共有されているけれど、、、それはほとんど国家イ
>デオロギーの「洗脳」に近いんじゃないか、という見解を表明したかっ
>たわけです。で、もうちょっと昔には、全然別の考え方の方が主流であっ
>た、ということの例として「我が輩は猫」を持ち出しておいたのです。

僕自身、技術万能論(と経済成長第一主義)は、日本では既に空気の
ようなものではないかと思っています(これは偏見かもしれませんが)。
特に一般の企業内では、これを批判しようとする意見が聞かれない
だけでなく、反対しようと思い付くことさえまれではないでしょうか。

>> 西洋イデオロギーをその基本理念とする企業は確かに利益追求第一主義
>> で、様々な弊害を生んできました。しかし、これらの科学技術の発展、
>> 経済発展の恩恵のことも我々は忘れてはならないと思います。企業に
>> よる経済発展は、我々に平和と安定をもたらし、飢餓や貧困を駆逐
>> しました。国民全体が飢えて、犯罪者がたくさんいるような社会より、
>> 今のこの社会の方がましでしょう。家族と笑いながら暖かい御飯が
>> 食べられるのも、とりあえず命の心配をすることもなくぐっすり眠れる
>> のも、全て経済発展のおかげ、西洋の技術賛美主義のおかげだと思い
>> ます。
>
>ここの事実認識が食い違っているものと思います。
>【186】でも申し上げましたが、僕自身、西洋テクノロジーに依存し
>て生物学の研究を行い生計を立てています。その意味で、全面否定を行
>うつもりは毛頭ありません。
>
>・・・ただし、西洋テクノロジーがなければないで、別の研究課題を見
> つけたでしょうから、西洋テクノロジーがなくても「研究者」とし
> てはよかったわけです。
>
>そして、栗原さんや須賀さんのような若い方々が、世界を飛びまわって
>「感動」を持ち帰ってこれるのも、わが国の高度経済成長があったから
>こそであることを忘れているわけではありません。
>
>でも、平和と安全、飢餓と貧困は、まさに西洋イデオロギーの産物であ
>る、と思っています。そもそもが、西洋列強による世界征服(植民地侵
>略)の野望がなければ、それぞれの民が、ローカルな生活を彼らの掟で
>楽しんでいた筈なのです。

僕は飢餓と貧困と言った時、ニューヨークのスラムや、アジアの貧しい
農民等をイメージしていました。ですから経済発展によって平和がもた
らされるという言い方をしたのですが、もっと元に帰れば、そもそもその
貧困を生み出したものが西洋イデオロギー、ということですね。

>現在40ぐらいの人までは、容易に「昔の」くらしに戻れる、といわれ
>ています。僕自身、46歳ですが、たびたび申し上げている通り、40
>年前のくらしの方がとても豊かだったと思っています。

昔の方が豊かだったどうかはよく分りませんが、確かに今の生活は、
豊かと呼ぶには殺伐としているような感があります。日本自体、これほど
ものがありあまって、世界中の料理が食べられて、みんな不自由のない
暮らしをしているはずなのに、中年層の自殺者は増加し、中学生はナイフ
を振り回し、小学校で学級崩壊が起こっている。やはりなにか今までの
方針が行き詰まってきたような気がします。後藤さんが[193]の(3)
で考察されていること、

>そこには書かなかったこととして、今思い付くのは、今の子どもたち
>にとって、モノ(科学技術の産物)は溢れかえっている、という現実
>です。モノは苦労しなくても親がふんだんに買い与えている。でも、
>虚しい(モノで満たされても、満たされるのは退屈心であって、愛情
>でも創造意欲でもない)。だから、モノに対しては非常にクールな気
>持ちをもっているかもしれない。
>
>   どうですか? ===> 若い方々へ
>
>これに比べると、僕の子供の頃は、モノ(科学技術の産物)を手に
>入れるには苦労したし、玩具も自分たち自身で作るものがいっぱい
>あった。モノに対しては今よりずっと主体的に対峙していた、とい
>うことになります。この意味で、理工系にすすむための「体験」を
>幼児期から積み重ねて育ったわけです(もちろん、いつの時代にも
>個人差はあります)。
>
>この辺りの事情も、現代における「科学技術への負の態度」の強ま
>りに関係しているでしょう。

これは確かに真実でしょうね。

>小宮さん【192】:
>> 技術者も、自分は政治家でなく技術者だから…といって何も考えず開発
>> するのではなく、自分が世界に与える影響の大きさを常に自覚しなけれ
>> ばいけないのでしょうね。例え企業の中では個人の意見は無力であった
>> としても。
>
>技術者集団の力はとてつもなく大きいですね。
>それはまた、エンジニアの誇りでもありますしね。ただ、そのモノ造り
>が、個人裁量ではなく企業利益の中でのことに限定されている点で、職
>人とは大きく異なるし、「完全満足」には至らない点でもありますね。

そう、確かに働くことが日本のため、となっていた昔と違い、開発が結局
企業の利益という目的に限定されてしまう一般の企業のサラリーマンは、
仕事に対する充実感が減っているのかもしれません。

以前、「環境問題に関してことさらシニカルな態度をとろうとする人」
について話されていましたが、僕はこの、企業内で働く人々(もちろん
自分を含めて)が、結局企業の価値観に縛られてしまっている、という
ことも、このような態度をとる大きな要因の一つだと思います。

例えば、どこかの海岸が、なにかの理由で埋め立てられようとしている
とします。僕が、それは自然破壊だ!と反対しても、「じゃあお前は
どうなんだ?利益をあげるために発展途上国に工場を立て、電気製品を
売り付け、自然や文化を破壊して給料を貰っている癖に、なんでそんな
自分勝手なことが言えるんだ?そういうことを言うなら、まず自分が
会社を辞めて、山にこもればいいじゃないか」と言われたら何も言えま
せん。結局は利益追求、経済第一主義の企業に生活を委ねているために、
環境問題を考える、ということ自体が、自己矛盾に落ち入ってしまうの
ではないでしょうか。そして、結局人間は人に迷惑をかけて生きるもの
なんだよ、とニヒリズムに走ってしまう…。企業の経済活動が国益を
支えている日本に、環境問題が深く根付かないことの原因でもあると
思います。



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yuichiro komiya (小宮祐一郎)
e-mail:can32960@pop07.odn.ne.jp


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