[BlueSky: 1172] 技術の社会的管理  Re:1170 原子力発電所の閉鎖


[From] suka@nacri.pref.nagano.jp (SUKA, Takeshi) [Date] Mon, 6 Dec 1999 18:44:45 +0900

伊東さん、葛貫さん、佐川さん、 みなさん
               須賀です。
伊東さん:
> エネルギー密度に指数的に比例して危険になり安全コストが増えます。

葛貫さん:
> >個人あるいは地域で、その土地にあった自然エネルギーを用いた発電機
> >器を設置し、故障した場合の電力の確保、地域による電気料金の差等々
> >の問題をクリアして行くことが、大がかりな発電所の増設を避ける一助に
> >なるのではと思いました。

この話から連想したことがあります。エネルギーそのものの話ではなく、
社会に利益と危険を同時にもたらす技術をどのように管理するか、という
話として考えたときの連想ですが。

今、マーク・プロトキン『シャーマンの弟子になった民族植物学者の話』
(上・下)(築地書館)という本を読んでいます。米国の民族植物学者が
アマゾンのひとびとのあいだにつたわる植物の伝統的利用の知識を学び、
その伝承が消えてしまわないうちに記録に残して、伝統文化の保存と再生
にも役立ててもらおうと、熱帯林のなかの村にはいってフィールドワーク
する様子を記した本です。このなかで、先住民のインディオが矢尻や吹き
矢の先端に塗る毒の製法を教わろうとするときに、こんなふうに言われま
す。…この毒をつくるための植物についての知識は、これまでにおまえに
教えてきたようなものとはちがう、この知識をうるためにわれわれの民族
は計り知れない犠牲をはらってきた、「だからこの知識は、真にその価値
を尊ぶ者にしか伝えることはできない。」

有毒植物からつくった毒は、狩にとても役立つと同時に、使い方をすこし
まちがえるとたいへん危険なものでもあります。そのような毒をつかい
こなすための知識は、それゆえ簡単に教えることのできるものではない、
とその重みをつたえているのです。

毒草の知識は、原子力のように大勢のひとに広い範囲で一度に影響をあた
えるようなものではありません。しかしそれでも、その知識のもつ危険は
このようなかたちで認識され、その知識を得ようとする者の心構えについ
てしっかり見定めようとし、またその自覚をもとめているわけです。

だから何? といわれても、特にいいたいことがあるわけではありません。
なんというか、有用であると同時に危険でもある技術を社会がどのように
うけいれ、管理していくか、という問題を考えるときに、連想せずには
いられないエピソードだな、と感じました。技術の規模の大きさと、それ
をとりまく社会のしくみや動きの双方で、わたしたちの生きている社会と
ここにでてくるインディオの社会との間にあるへだたりを思わされました。

Takeshi SUKA
Nagano Nature Conservation Research Institute (NACRI)
E-mail: suka@nacri.pref.nagano.jp



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